::繰り返しの話だけれども
ステップファミリーになろうと思った時に、
誰しも継子である子にとってよい母親になろう、と思うハズ。
母親である事にコダワラズとも、
良い関わりを持とうだとか、良い関係を作っていこう、の総意で。

でなければ、そもそも連れ子を持つ人との結婚は考えないしね。

自分自身を含め、いろいろなステップの人らの話を聞くと、
そういう想いを揺るがせる出来事がそのうち起こる。

その出来事を起こすのは悲しいかな実親であったり、義親であったりだ。

そしてそのほとんどが偏見からくる。

継母の行いは曲解して受け止められる事が本当に多い。
その誤解をその都度、キチンと話し合い改善していく事が出来れば、
きっとステップとして上手くやっていけるのだろう。
しかし、現実は誤解が真実として周りに受け止められ、
そういう誤解や偏見の中で継母は孤立し、孤軍奮闘になってしまう。

一番に認めて欲しい存在である彼ら(パートナーや義親)にそういう偏見で見られ続けるうちに、
何を動機として母親業をしていかなきゃならないのか、
疑問に感じたり、怒りを覚える。

そして何より自分を偏見で見ているパートナーや義親と血の繋がった継子に対して、
気持ちの持って行き場を無くした想いは向かう。
ここが一番、継母にとっての罪悪感を生む場面なんだと思う。

子どもには罪は無いとの思い。
でもその子どもの親や祖父母らに見られている自分は、
継母=意地悪、差別をする…である。

繰り返し書いてきている事なんだけど、
そうでなくても、世間からの見方は偏見が多い中、
実親・義親がそれから守らなくてどうする?
守るべき人達が率先して偏見の目で見てどうしたいのか。

子どもへの関わりによいものを求めるのならば、
まずは継母を取り囲む実親や義親の意識を見直してもらいたい。
そう痛切してる。
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::実親が言ってどうするの?
「ここにお前の居場所は無いんだ」
「普段ママがお前の事をどう思っているか教えてやろうか」
「さぁ、父さんと出て行くぞ」

この週末、相変わらずの主人が息子に対して吐いた暴言です。

事の発端は、継母であるわたしの子どもらへの態度の違いです。
継母として、血の繋がらない親として、ハードルを下げる事を決めてから、
『出来る関わりをしていく』としている事が主人には不満。
疲労などもろもろが加わり、感情的に爆発した主人。
その憤りや怒りを息子を含め、子どもらを巻き込んで大騒ぎ。

いつもと言えば、いつもの事なんだけど…
どうしてそういうやり方をしてしまうんだろうな。

結局前回と同じなんだけど、息子は「いやだ行かない、ママと一緒がいい」となり主人は撃沈。
何度と無くわたしの事を悪く言い、説得を試みるが徒労に終わった。
わたしの本音を暴露して息子に「じゃあ一緒に行く」と言わせたいのだろうが、
そうはならなかった。

わたしも実親の立場ではあるが、この温度差の違いは何だろう。
児相での話し合いなどから、主人の成育歴による未消化な部分なんだろうけど…。

わたしに対しても、
「どこまでいっても継母は継母で実母にはなれないんだ」
「息子に叶わない幻想を抱かせるなんて」
「他の実子らに対してはいい母親なんだよ、だからそれを見ていると腹が立つんだ」
なども興奮してわめいていた。

どこまでいっても継母は実母にはらないんだよ。
どうしてそう落としてくれないんだろうか。

継母と継子とでオリジナルな関係を作っていったらいいじゃない。

「母的存在として目の前にいるのに(他の子にとっては)自分だけは
同じように甘えたりできないんだぞ」
そこは以前わたし自身も本当に苦しんだ部分。
いつも同じに出来ない事に罪悪感を抱き続けた。
自分自身の気持ちに逆らって、同じにこだわり続けた結果心身共に壊した。

何度も何度も児相で話し合いを重ね、
ステップファミリーの理想と現実について学び、
そこんトコは理解が進んではいるハズなのだが、感情がついていかないらしい。

結局のところ、離婚を口にする。
しかもほぼ毎回。

セメントの事をどう考えているのか訊ねると、
「セメントらには『母親』がいる」
「じゃあ捨てて行くわけ?」
「仕方無いだろう」
何が仕方ないのか?どう仕方ないのか?全くもって腹立たしいセリフだ。

こう言われてしまうと考え方がおかしくなってくる。
母親に育児放棄された子はこんなに父親に想われ(執着とわたしは呼んでるが)、
母親が育てている子は捨てられるのか?
何とも理不尽じゃないか。

息子がついて行く事を拒否したので、結局一人で家出をした訳だが、
(もう戻ってきたが^^;)
仮に息子がついて行ったらセメントらは捨てられたのか?
ちなみに、もうここで既に娘の事など眼中にも無いのだが…。
そういう行動を取られた後、わたしが息子へどういう気持ちになるかを考えられないんだな。

自分の気持ちの持って行き場に困ってる。
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::キレイ事でない子育て
キレイ事でない子育て

継母として…だけでなく、実母としてもこう思う。

『子育てはキレイ事だけでは済まない』

当たり前っちゃあ、当たり前の事なんですが^^;
今回はステップ関連ではありません。

いつだっけか、ニュース番組内の特集で、
育児放棄をした動物園の動物(種類は忘れた)の話をやっていた。
その母親動物は飼育員に育てられた為、自分が子どもを産んでも育て方が分からない。
なので、出産後赤ちゃんを放置してしまう。
飼育員がどうにか子育てをするように促すが、
赤ちゃんが命の危険にある状況になってしまった為、
仕方なく、また飼育員が子育てをする事になった。

…という話だった。

と言う事は、その赤ちゃんもまた大きくなり、
子どもを産んだら同じ事を繰り返すんだろうな。

人で言うところの連鎖か?

この話の場合では、動物だったので、
その母親動物が責められるような話では無かったが、
人であった場合、その母親は当然責められるのだろう。

人もこういう部分は同様だと思うんだけど、どうだろう。

もちろん、人は理性があるし、
あらゆる情報を手に入れて学ぶ事も出来る。
けれど、机上で得た知識と実際の育児は違うように思う。

親に育てられなかった子どもは、
大人になり子を儲けても育児放棄をしないよう努力が必要じゃないだろうか。
又、親に育てられても不適切であったりするのなら、
やはり不適切に育てないような努力が必要じゃないだろうか。

でも、実際努力だけでどうにかなる問題なのか。
イヤ基本的にはどうにか努力するべきだろう。

でもどう頑張っても、親側に育てる気持ちが無い、
育てる能力が無い、
と言う事を当事者ですら、産んだ後に気付く事だってあるんじゃないかな。

わたしはそういう事があってもおかしくないと思う。

私自身、子どもを出産する前に毎月何冊かマタニティ雑誌を愛読していたが、
産後の生活の楽しい面ばかりが書かれていたように思う。
写真付きで登場する妊婦さんや産後のママたちはキレイでおしゃれで、
赤ちゃんは皆笑顔で。

だから実際、産後の寝られない時期の本当の辛さや、
乳首が切れる痛みなどは、
産後になってみて初めて知った事だった。
『もうっ!』とイライラする気持ちになった時に、
上の雑誌に出ていたママたちと、どうしてわたしはこんなに違うのかと凹んだ。
キレイでおしゃれなんて程遠いいでたちで、
笑顔より泣いてばかりのあかんぼを目の前にこんなハズでは、と思った。

赤ちゃんが育てられない時、
赤ちゃんが可愛くない時、
赤ちゃんを育てる気持ちが無くなった時、
赤ちゃんを育てる気が最初から無い時、
そんなテーマでの雑誌がそこらで買えるといい。
具体的な方法や、実際的な対処法、
それらが分かると選択肢が広がり気持ちが楽にならないか?
キレイ事の育児雑誌や育児本が一般的だとしたら、
それから外れた自分を自分自身で追い詰め、取り返しがつかない状態になりはしないか。
それなら、楽しいばかりでは無い『育児の雑誌』があったらいいのに。
そして、育てる事をやめたいと思った時に、意地クソで不適切に育てるよりも、
適切に子どもを育ててもらえる、里親さんのような方々に見てもらえたら。

今回、書いてみたかったのは、
上のニュースの育児放棄をした母親動物も飼育員ではなく、
(仮に動物をクマとしたら)
同じクマの里親的な役割をする母グマが育ててくれたら、
育児放棄はしなかったのでは?と思ったから。

人も同じく育てる気持ちが無かったり、育てる能力が無い場合、
飼育員(児童養護施設)では無く
【↑乱暴ですいません】
里親さんであったらいいのに。
親だったら、子どもを産んだ以上…育てなければならない、じゃなくてもいい場合もあると思う。
無理ならば、別な育てる力のある人にお願いしたらいいのだと思う。
又、育て方に関しても、画一的なマニュアルに添わない場合も、
育児本や自分の育てられ方にコダワラズ、育児のプロに泣きついていいと思う。

出来るだけ育てる側は余裕を持って、楽しみを見出せる育児が出来たら、
それは子どもにとっても楽しく過ごせる環境を与える事に繋がるだろうから。

そんな事をレイさんのブログを読んで感じた。

そして、わたし自身も、
マニュアルタイプな性格だけど、育児本に書いて無い育て方をまた今後必要に迫られた際、
「分からない」
「育て方が分からない」
「どうしたらいいの?!」
と、恥ずかしがらずに臆する事無く方々に聞いて回り、自分の育てられ方を正しいとせず、
正直に「どうやって育てていいか分からない」と言えるようにしたいと思う。
勝手な考察  コメント(3)   トラックバック(0)  △ page top


::実継親として…
継親として、継子に対しての苦悩や気持ちの持て無さが大きいので、
実親としての顔もあるのに、
日々の大半は継親としてのウエイトが占める。

そして主人も継父であるのだが、実父としての役割が同様に大半。

理想を言えば実親として、実子に望む継父の姿もあるのだけれど、
自分自身が逆の立場として主人が実子に望む継母にはなれないので、
特に実子に対して、こうこうして欲しいなどの要望は出してない。

元々、主人に対して継親なのだから余り期待はしていないというスタンスだから、でもある。

生活をしていく為の経済的なところを担ってもらうだけで感謝している。

それに主人は実娘に対してさほど関心が無い。
イヤそれ以前に、息子に対してもそれほど関心は持っていない。

表面上の扱いにはやたらと過敏反応はするのだけれど、
子どもの為に…という視点では無く、自分がそれを見て不快か否か。

うちの場合は子どもの事は基本的に全て私が担っている。

子育ては夫婦共同で、という意識を主人は持たない人、
一時期は躍起になって育児に対して向き合わせようと何度も主人に対して訴えてきたが、
人の気持ちや意識は変えられない。

そもそも子どもを引き取って育てているという主人に過大な期待を抱いていたようだが、
正確に言えば、育てたくないと引き取らされたが正しい。

ただ、それでも『我が子』という意識と、
『不憫な』という気持ちだけはかなり強く持っている。
だから子どもの為という視点では無く、自分の想いだけでいる。

愚痴っぽいな、そう、喧嘩したんですよまた^^;

話は端折るけど、言われた一言にガックリ&怒りです。

「俺の息子を虫歯にしやがって」

そう、虫歯になってしまったんです息子が。
それに対しての主人の言葉が上だった。

脱力です。

それ以外に子ども達4人には日々本当にいろんな事がある訳で…
娘の持病、発達の遅れ。
息子との関係をつくる困難さ。
2歳と3歳、年子の子達の日常。
わたし自身の体調も良い時ばかりでは無い。
そんな日々の話を聞いてくれる訳でもなく、その1点だけに対してのコメントがそれでは、
やってられない。

実際、母子として生活してきた経験上、
経済的に担ってくれる人がいるだけでもそれは非常に大きな事実。
その環境で子育てが出来る事は本当に有難い。

ステップとして理想的な形では無いけれど、
一般家庭でも形は様々なので、これはこれでうちの形って事なんだろう。

上の子らは目に見えて、主人の事を相手にしなくなってきている。
何の期待もしていないそうだ。

1対5(主人:わたしと子ども)の構図に着々となってきている。

不満ばかりの生活をするのも、小さな事に感謝の心を持って生活するのも、
気持ち次第だと思うように調教されてきたので(嫌味)
そんなに怒りも持続はしなくなった。

実親として娘に対しての関わりうんぬんを話し合えるところに、
漕ぎ付けるのかが、まず必要だったりする。
きっとその話が出来る頃には、子育ての山は超えているんじゃないかしら。

そんなこんなだけど、今日は結婚記念日だ。
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::愛着を示さない子に愛着を持つ難しさ
家族なのか他人なのかという比較をしてしまう程に、距離が一向に縮まらない。

継続していく為の動機づけが欲しいところだ。

時々、自棄を起こしつつ日々を過ごす。
もうやってられないわーって。
何か前に進んでいるって目盛りが欲しい。

関係性が出来ているっていうのを実感したい。

時々、そうかも?って期待する場面があるんだけど、
あっ、やっぱ違ったかっていう事があると一気にマイナスポイントまで引き戻される感じがする。

子どもなのに大人。
子どもなのに自立し依存しない。

イヤイヤ大人だって、頼ったり甘えたりして関係性を再確認する時もあるよね。

けれども子どもの浅はかな知恵でもって、いろいろやろうとするから失敗もする。
頼ってこなかった事に腹を立ててるから、余計に「知らん」となる。
一人で生きていく必要は無いのに、一人で生きようとする。
やはり頼ってこないから手を差し伸べる気が失せる。

親しみや愛着の連鎖反応で良い方向へ向かいたいのに、
何も無いところへはその連鎖反応も起きようも無い。



以上、今日は雨という事で愚痴でした。
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::時既に遅し、けど巻き返そう。
前回、ステップファミリー(私)のスタートと里親さんとのスタートの違いを私なりに書いてみた。
少々、言葉足らずに感じた部分もあったので、補足をしておきたい。

先日、プレステップの方々と話をする機会がありその時に、
「ステップファミリーになると様々な困難が予想される中、再婚を決意された理由を教えて下さい」
…と質問された。

その場に居た、主人は一言「浮かれていたんですよ♪」と実にアホっぽい返答を。
私も同様に、「上手くいくって思い込んでいました♪」とこれまたバカップル丸だしな返答を…

でもね、これ本当にそうだったんです。

まみ茶さんのコメントにあった、
>ラブイズブラインド、あーんど、キレイ事にしてしまう良心が、
>その厄介な面を認めがたい。
まさしくこれだ。

私達はお互いに子どもも居たから、子育てに関しては分かっているつもりであったし、
脛に傷がある同士でもあった(離別など)為、今度は上手くやろう!
と、気持ちも非常に前向きで、二人の愛があればどんな困難も〜と、
イヤ、困難もなどとは考えても居なかった。

愛する人の子なら私にとっても大切な子。
実際、その当時はそのように見ていたからある意味不思議。
継子のする行動で、多少は気になる点があったとしても、それ以上に楽しいであろう未来。

何ともお粗末すぎる安易さであった事は否めない。

とにかく非常に楽観的であった。
事がいろいろと起きてから、慌ててステップファミリーとは何ぞや?
私だけがこんなに醜い感情を抱いているに違い無い。
子ども相手にこんなに醜い感情を持つなんて、異常だ。

そこで初めて、ネットを通していろいろと調べ始めた。
継母という言葉自体、童話に出てくる程度の知識しか無かったが、
出るわ出るわ…。
童話に関連した話もよく出てきたが、継子に対する罵詈雑言も。

でも、その言葉に当時は救ってもらったのも事実。
だけれど、それを読んでいても解決への糸口は見出せない。
以前も書いたが、そんな時に出会ったのがSAJだった。

今はそれを出来る限り活用し、日々の生活に活かすようにしている。

今回もしつこくこの記事を書いたのは、
意外と私達のように、楽観的に再婚へした人が多いのでは?
と、自分の経験から感じたから。
全て後手後手に問題が生じてから事後解決、の道のりは険しい。
プレステップの方が疑問を投げかけてくれた事にある意味、はっとさせられた。
そういう再婚前の時期に問題意識を持っていたら…と、強く思った。

継子への否定的な気持ちを、感じてもおかしくないと知っていたら…。
関係が出来上がるのに、ある程度の年数が必要だと知っていたら…。

うちの場合、継息子を施設へ捨てるような事は、もしかしたら無かったかもしれない。

愛着うんぬんの問題も当然あるが、継母として継子を我が子同然に愛せない事は
自分が母性本能の欠落した人間だからだと、自分を責めていた。
しかし、責めの行動は自分に向かうのでは無く、矛先は継子へ向いた。

そういったあらゆる事を避ける、もしくは軽減する事が出来ただろうな。

子どもという存在は、絶対的に愛し守られるべき存在という意識。
それは正論であるし、間違いでは無い。
けれど、子どもに対して負の気持ちを抱く事を、肯定せずとも否定されない。
皆そういう道筋を辿るんだよ、そんな風に肩を叩いてもらえる場所。
回り道をしたけど、そういう場所を見つけられて良かった。

そうそう、再婚する当事者だけでなく周りの人々も絶対的に知識不足だと思う。
『あえて苦労する結婚をしなくても…』
『なさぬ仲の子を育てるなんて、並大抵の事では…』
そういった助言?はたくさん頂いたが、
だから要するに『やめろ』が彼らの望む方法だった。

『やめる』では無く、それでも上手くやっていける方法があるんだよ、
というのを知ってる人は多分居なかった。

問題が生じ、そのことを話すと例外なく『ほらみた事か』と来る。
そうじゃない、『その問題はみなぶち当たる問題なんだよ』と言ってもらいたい。

長くなってしまったが、再婚当事者だけでなく彼らの周りを取り囲む人らにも、
ステップファミリーの成り立ちを広く知ってもらいたい。

そんな願いを抱きつつ、その方法が見当たらない。
ネットの普及で、PCを触る人達には多くの情報が得られるが、
一般常識レベルには程遠い。
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::ステップファミリーという括りでの親子関係
私個人の考えです。

ステップファミリーについて、継親と継子とが良い関係を築くのが困難。

この問題について…、
ものすごく乱暴な考え方だけれども、そこを承知で書いてみます。

何故上手くいかないのか?
血の繋がらない親子関係について、よく里親さんとのそれを考えてみるのですが、
ごく簡潔に思うところは、
『子どもを養育したいのスタート』と
『パートナーとの関係からのスタート』ではないかと。

私は里親では無いので、ステップファミリーの継親視点で書きます。

私が思うに、ステップファミリーになろうと思う気持ちの当初は、
『この子(継子)を育てたい』では無かった。
『この人(主人)と一緒にやっていきたい』であった。
ステップと一言で言っても、様々なケースがあるだろうし、
当初の気持ちもそれぞれだとは思うのだが、
まずは、パートナーに対しての恋愛感情から始まるのではないだろうか。

恋愛している時の気持ちは、それはそれは明るく・前向きで、
お互いが一緒になる事を夢見ている時には、
継子である、パートナーの連れ子に対して、
基本的なスタンスは、悪いところには目をつぶる。

そして周りからの不安な声をも打ち消すが如く、
明るく楽しい未来しか見ようとしない。

なさぬ仲の子の養育の困難さを、忠告してくれた人も居たけれど、
二人の気持ちの前向きさの前には余り意味を為さない。

もちろん、継子と悪い関係になろうだとか、
嫌いだとかの感情もその当時は抱いていない。
当然、一緒に生活すれば次第に家族になっていけると思っているし、
家族になっていくのに、障害になるようなものも見当たらない。

だから、結婚(再婚)に踏み切る訳だが。

ここに来て、今頃何故こんな話か?

それは、継子との関係が上手くいかなくなった時に、
当初の『この子(継子)を育てたい』では無かった。
が、ずしんと重く自分自身に圧し掛かってくるから…。

何があろうともこの子を育てるんだ、という気持ちが無い。
何を今更と自分を責めるのだが、
継子との関係が上手くいかない事が次から次へと出てくるにつれ、
『私はこの子をどうしても育てたい訳じゃなかった』と感じてしまう。

ここが継母としての、踏ん張りが利かないところか。
そんな風に今までの事を思い出しながら、合点がいった。

基本がパートナーありき、そして継子という順序。
里親さんはまず子ども。
だから、子どもの問題行動などにも対処する気構えが違う。

ここのところを、解決していく為には、
あとはもう、ただただ時間。
共に過ごす時間をただひたすら延々と。

恋愛感情からのパートナーへの想いと、その子への想いは全く異なる。
どれだけパートナーを愛していても、連れ子は別な人。

好意は持っていたとしても、実際の生活は夢では無い。
子どもは世話をされ、我侭を言い、可愛い時ばかりでは当然無い。
どれだけパートナーに愛情を持っていたとしても、
可愛くないものは可愛くない。

実子であれど、反抗されたり悪態をつかれれば腹も立つ。

パートナーとの関係とは切り離せた関係を作り上げるまでが、
苦難な道のりなんだと思う。
それには自分の意識と膨大な時間が必須。

これから再婚を考える人へ、
再婚直後、パートナーがもし死んだら?
継子を養育し続けますか?

…なんて偉そうに、
自分で書いておきながら、私はそんな事は全く考えてすら居なかった。

私はまだパートナーと喧嘩をすると、途端に継子に負の感情を抱いてしまうアホだけど、
それでも少しずつ、
パートナーである主人と、完全に連動した継子の存在ではなくなってきてると感じている。


もし、明日主人が不慮の事故で死んでしまったら?


息子の養育は私がします。


そして、もし私が突然死をしてしまったら?

…そんな事を主人は考えてくれた事あるのかな?
近いうちに話し合ってみよう。
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