愛着障害の子どもとの絆つくり
20070825 01:18
『頭では分かってるけど…』
『頭では理解出来てるけど、思った通りに行動出来ない』
これステップファミリーになってパートナーや継子と接するようになり、
葛藤にガンジガラメになった時、いつもそう思っていた。
わたしだけで無く、他のステファの方からもよく聞かれたセリフ。
もちろん主人も常々そう言ってる。
「親になろうと思わなくていいんだよね、それは分かっているんだけど」
「実子のように愛さなければと思う必要も無いんだよね、分かるんだけど」
でも、形としては『親子』である以上、親的役割をしなければならない。
そして実子への気持ちと継子への気持ちの差に罪悪感を感じる。
「分かっているんだよ、パートナーを大切にしたら実子にもよい関わりをしてくれるって」
「分かっているんだよ、実親の役割を求めちゃいけないって」
けれど実際は継親から継子の愚痴や不満を聞かされると、
継子を庇う発言をしてしまったり、
継親の実子と継子への関わり方に区別を見ると、
実親のように関わってくれと思ってしまう。
ステファの発達を学び、それを理解したつもりでいても、
直面する場面に遭遇するとその学びは実践されず活かされない。
わたしもそうである。
継親になると当然起こり得る葛藤をテキストや書籍で読み、
家族として安定するのに年数が必要だと理解していても、
他所の一般家庭との比較に燃え尽きそうになってしまったり、
投げ出しそうになってしまった。
そしてテキストや書籍に書いてある事を、
『そんなの所詮理想よ』と本を置いてしまいこんでしまった時期がある。
継子を実子と同じように愛さなくても大丈夫。
ただ、大人が子どもに接する節度は必要。
そんな記載に関しても、『それが出来ないから苦しんでいるんだ』と。
最近、そんな考え方に一つヒントを得る事があった。
(※別なところでも同様な記事を書いたけど…)
ステップで上手くやれている家族との出会いである。
SAJ関係で集まりがあり、そこで感じた事を少し。
上手くやれている人というのをわたしは誤解していた。
主人も同じ事をよく言っているのだが。
それは『上手くやれているのはごく一握りの特殊な人達だよ』というもの。
かなり強引な言い方だけど、
それくらいステップの葛藤を乗り越えるのは困難だと感じているから出るセリフ。
しかし、わたしが出会った『上手くステップファミリー』をしている人達は、
何も『特殊』な人間では無かった。
話をしていて、感じ方はわたしと変わらない。
では何が違うのか?
一言で言えば、『繰り返しの学習』
分かり難い表現で申し訳ない^^;
要するに考え方の癖を学習を繰り返す事によって強化している、という事。
もっと分かり易く…、
例えば娘ら小学生の足し引き算。
しっかり学んできたつもりでも、日々足し引き算をやっている娘や息子の方が計算が早かったりする。
何故なら、毎日それを学校で繰り返し学習し計算で日々用いているから。
なので必要な時にそれをすぐに取り出せるのだろう。
冒頭の『分かっている』は『分かったつもり』ではないのか。
テキストなどを一通り読み分かったつもりでいるだけで、
それを活かせる程には『分かっていない』(身についていない)のではないか。
同様にステップの発達や葛藤を当然の如くとした学習を繰り返す事によって、
発達に達していない現状を嘆いたり、
投げ出したりする手前で学習した事を容易に引き出せるようになるのではないか。
又、葛藤する気持ちも(この葛藤は誰しも通る道)だという風に、
自分自身を肯定的な見方をする事が出来るのではないか。
するとどうだろう、
とても気持ちが楽になってはこないか?
一瞥してしまい込んでいたテキストや書籍を繰り返し読み、
いつも目にするようにする事によって、考え方や感じ方の癖を変えていく事は可能かもしれない。
…上手く気持ちのオトシドコロを見つけた人達は、
毎日の生活でそれを活かす為に、知識を頭に叩きこんだんだ。
会話の向こうにそれを発見した。
とわたしは勝手に思ったので、目の付くところにテキストを置き、
いつでもそれを手に取れる状態にしてチャレンジ中である。
『頭では理解出来てるけど、思った通りに行動出来ない』
これステップファミリーになってパートナーや継子と接するようになり、
葛藤にガンジガラメになった時、いつもそう思っていた。
わたしだけで無く、他のステファの方からもよく聞かれたセリフ。
もちろん主人も常々そう言ってる。
「親になろうと思わなくていいんだよね、それは分かっているんだけど」
「実子のように愛さなければと思う必要も無いんだよね、分かるんだけど」
でも、形としては『親子』である以上、親的役割をしなければならない。
そして実子への気持ちと継子への気持ちの差に罪悪感を感じる。
「分かっているんだよ、パートナーを大切にしたら実子にもよい関わりをしてくれるって」
「分かっているんだよ、実親の役割を求めちゃいけないって」
けれど実際は継親から継子の愚痴や不満を聞かされると、
継子を庇う発言をしてしまったり、
継親の実子と継子への関わり方に区別を見ると、
実親のように関わってくれと思ってしまう。
ステファの発達を学び、それを理解したつもりでいても、
直面する場面に遭遇するとその学びは実践されず活かされない。
わたしもそうである。
継親になると当然起こり得る葛藤をテキストや書籍で読み、
家族として安定するのに年数が必要だと理解していても、
他所の一般家庭との比較に燃え尽きそうになってしまったり、
投げ出しそうになってしまった。
そしてテキストや書籍に書いてある事を、
『そんなの所詮理想よ』と本を置いてしまいこんでしまった時期がある。
継子を実子と同じように愛さなくても大丈夫。
ただ、大人が子どもに接する節度は必要。
そんな記載に関しても、『それが出来ないから苦しんでいるんだ』と。
最近、そんな考え方に一つヒントを得る事があった。
(※別なところでも同様な記事を書いたけど…)
ステップで上手くやれている家族との出会いである。
SAJ関係で集まりがあり、そこで感じた事を少し。
上手くやれている人というのをわたしは誤解していた。
主人も同じ事をよく言っているのだが。
それは『上手くやれているのはごく一握りの特殊な人達だよ』というもの。
かなり強引な言い方だけど、
それくらいステップの葛藤を乗り越えるのは困難だと感じているから出るセリフ。
しかし、わたしが出会った『上手くステップファミリー』をしている人達は、
何も『特殊』な人間では無かった。
話をしていて、感じ方はわたしと変わらない。
では何が違うのか?
一言で言えば、『繰り返しの学習』
分かり難い表現で申し訳ない^^;
要するに考え方の癖を学習を繰り返す事によって強化している、という事。
もっと分かり易く…、
例えば娘ら小学生の足し引き算。
しっかり学んできたつもりでも、日々足し引き算をやっている娘や息子の方が計算が早かったりする。
何故なら、毎日それを学校で繰り返し学習し計算で日々用いているから。
なので必要な時にそれをすぐに取り出せるのだろう。
冒頭の『分かっている』は『分かったつもり』ではないのか。
テキストなどを一通り読み分かったつもりでいるだけで、
それを活かせる程には『分かっていない』(身についていない)のではないか。
同様にステップの発達や葛藤を当然の如くとした学習を繰り返す事によって、
発達に達していない現状を嘆いたり、
投げ出したりする手前で学習した事を容易に引き出せるようになるのではないか。
又、葛藤する気持ちも(この葛藤は誰しも通る道)だという風に、
自分自身を肯定的な見方をする事が出来るのではないか。
するとどうだろう、
とても気持ちが楽になってはこないか?
一瞥してしまい込んでいたテキストや書籍を繰り返し読み、
いつも目にするようにする事によって、考え方や感じ方の癖を変えていく事は可能かもしれない。
…上手く気持ちのオトシドコロを見つけた人達は、
毎日の生活でそれを活かす為に、知識を頭に叩きこんだんだ。
会話の向こうにそれを発見した。
とわたしは勝手に思ったので、目の付くところにテキストを置き、
いつでもそれを手に取れる状態にしてチャレンジ中である。
20070820 16:25
6歳の頃、アセスメント入院として小児精神科でもろもろの検査を受けた。
何故こういう言動なのか?
何故誰でもいいという態度でい続けるのか?
どうして他所とうちとでは態度が違い過ぎるのか?
何故注意をすると固まるのか?
何故不必要なところでまで嘘ばかりつくのか?
どうして赤ちゃんのように振る舞うのか?
多くの疑問の解決。
そして実情を知らない主人に権威ある人物からの説明を望んだ。
(わたしの日頃の訴えを、二面性のある息子により真実と聞いてもらえなかった為)
そこで、
愛着障碍
適応障碍
解離
フラッシュバック
というどれも初めて耳にする単語を知った。
全くの素人であるわたしはネットや書籍でそれらの単語を調べ、
何故そういう症状を示すのかをアバウトながらも理解しようとした。
最後に検査入院を終え、児相担当者らを含めた面談で、
「このままいくと、『反社会的行動』をとるようになるでしょう」と。
本人にはセラピーをし、両親には面談を継続していきましょう。
しかし結局、本人へのセラピーはその後数回行われ継続していない。
それ以前に私達夫婦の受け入れ態勢(意見の一致)が整わず、
そちらが優先事項であった為か。
確かに受け皿が無ければ、何も出来ない。
息子のコトで意見が全く一致しないわたしと主人。
そんな中で新たに始まった息子のいじめや暴力。
間もなく自宅に帰ってくる息子の今後について、主人に尋ねた。
下級生へのいじめ・暴力や下の兄妹への暴力、
どのような対策をしていこうか?
「家には戻さない方がいい」
「対策なんて無い、対処しか出来ない」
「あいつは家庭で生活出来ない」
「誰にも受け入れられていないんだから」
「受け入れられていない?」
「『そのままのお前でいいんだよ』という受け入れをされていない」
「条件付きだ」
「実子のように想われない」
「『そのままのお前でいいんだよ』というのは全面受容のコト?」
「…自分がココに居る事を他の子らは疑問にすら思わず生活している」
「でもあいつはいつも周りの顔色を伺って生活している」
「そんなのは受け入れられているとは言わない」
「顔色を伺うのはどうしようもなく身に付けて固定されてしまっている」
「そういう事をしなくても良いと体感するには長い年月が必要でしょう」
「その『長い年月』は待てないんだ」
「もうすぐ10歳、すぐに身体も大きくなっていく」
「いつか自分が受け入れられたと感じる時はくるかもしれない」
「でもそれよりは明らかに早くに力をつけてしまう時期がくるんだ」
「誰にとっても良い影響は無いだろう」
結論は「家に戻さず(施設)に預けよう」
理屈だけを考えれば、確かにそうなのだろう。
検査の結果を踏まえた「反社会的行動をとる」もそうなのだろう。
そして実際、少しづつトラブルも出てきている。
親として未熟であるが、
実子を傷つけられたわたしも寄り添う事が困難な気持ちにもなった。
けれども・けれども、それでは余りにも。
各機関、総動員しても対策を考えないと。
しかし、根深い。
イヤ、根が無いと言われているが^^;(これは、別件)
現在、ショートステイの形で施設に居るが、
職員からの話では予想通り「楽しくやってますよ、えぇ問題は無いです」と。
又しても「家より施設がいい」とか言い出すんだろうな。
何にせよ、父さんは匙を投げ続けている。
今後どんな問題が起こるのか?
まずは誰にも危害を加えないよう、うるさがられるだろうけど伝え続ける。
そして衣食住の身の回りのお節介。
再びそこから。
何故こういう言動なのか?
何故誰でもいいという態度でい続けるのか?
どうして他所とうちとでは態度が違い過ぎるのか?
何故注意をすると固まるのか?
何故不必要なところでまで嘘ばかりつくのか?
どうして赤ちゃんのように振る舞うのか?
多くの疑問の解決。
そして実情を知らない主人に権威ある人物からの説明を望んだ。
(わたしの日頃の訴えを、二面性のある息子により真実と聞いてもらえなかった為)
そこで、
愛着障碍
適応障碍
解離
フラッシュバック
というどれも初めて耳にする単語を知った。
全くの素人であるわたしはネットや書籍でそれらの単語を調べ、
何故そういう症状を示すのかをアバウトながらも理解しようとした。
最後に検査入院を終え、児相担当者らを含めた面談で、
「このままいくと、『反社会的行動』をとるようになるでしょう」と。
本人にはセラピーをし、両親には面談を継続していきましょう。
しかし結局、本人へのセラピーはその後数回行われ継続していない。
それ以前に私達夫婦の受け入れ態勢(意見の一致)が整わず、
そちらが優先事項であった為か。
確かに受け皿が無ければ、何も出来ない。
息子のコトで意見が全く一致しないわたしと主人。
そんな中で新たに始まった息子のいじめや暴力。
間もなく自宅に帰ってくる息子の今後について、主人に尋ねた。
下級生へのいじめ・暴力や下の兄妹への暴力、
どのような対策をしていこうか?
「家には戻さない方がいい」
「対策なんて無い、対処しか出来ない」
「あいつは家庭で生活出来ない」
「誰にも受け入れられていないんだから」
「受け入れられていない?」
「『そのままのお前でいいんだよ』という受け入れをされていない」
「条件付きだ」
「実子のように想われない」
「『そのままのお前でいいんだよ』というのは全面受容のコト?」
「…自分がココに居る事を他の子らは疑問にすら思わず生活している」
「でもあいつはいつも周りの顔色を伺って生活している」
「そんなのは受け入れられているとは言わない」
「顔色を伺うのはどうしようもなく身に付けて固定されてしまっている」
「そういう事をしなくても良いと体感するには長い年月が必要でしょう」
「その『長い年月』は待てないんだ」
「もうすぐ10歳、すぐに身体も大きくなっていく」
「いつか自分が受け入れられたと感じる時はくるかもしれない」
「でもそれよりは明らかに早くに力をつけてしまう時期がくるんだ」
「誰にとっても良い影響は無いだろう」
結論は「家に戻さず(施設)に預けよう」
理屈だけを考えれば、確かにそうなのだろう。
検査の結果を踏まえた「反社会的行動をとる」もそうなのだろう。
そして実際、少しづつトラブルも出てきている。
親として未熟であるが、
実子を傷つけられたわたしも寄り添う事が困難な気持ちにもなった。
けれども・けれども、それでは余りにも。
各機関、総動員しても対策を考えないと。
しかし、根深い。
イヤ、根が無いと言われているが^^;(これは、別件)
現在、ショートステイの形で施設に居るが、
職員からの話では予想通り「楽しくやってますよ、えぇ問題は無いです」と。
又しても「家より施設がいい」とか言い出すんだろうな。
何にせよ、父さんは匙を投げ続けている。
今後どんな問題が起こるのか?
まずは誰にも危害を加えないよう、うるさがられるだろうけど伝え続ける。
そして衣食住の身の回りのお節介。
再びそこから。
20070811 20:29
主人の田舎(東北)へ行きます。
息子も一緒です。
近いうちに引越しをする予定で、その下見を兼ねてです。
15日に戻る予定。
では、行ってきます。
息子も一緒です。
近いうちに引越しをする予定で、その下見を兼ねてです。
15日に戻る予定。
では、行ってきます。
20070808 23:37
少し遡って、主人とのやり取りを。
息子に対して主人はこう伝えると言った。
「ママはお前の本当のママじゃないんだ」
「だからお前はママに他のみんな(実子・セメント)と同じように甘えちゃいけないんだ」
「他のみんなが何かをママにしてもらったからと言って、お前も同じようにしてもらおうなんて思うな」
わたしに対しては、
「期待をさせるなんて残酷だ」
「そんな事をさせるくらいなら、ハッキリそう言ってやる方がいい」
わたしが実子・セメントらと同じように関わる事が苦しい。
相当な努力でもって、スキンシップをしていた事。
実子らが求めてきた事に対して、同じように要求してくる事に応えるのが辛い。
などと主人に訴えていたところ、そのような話となった。
主人の考えとしては、
中途半端な愛情(のようなもの)を示されるなら、いっその事無い方が良い。
中途半端な愛情を示される事によって、もっと愛情が欲しいと思うだろうから。
そうなるとただでさえ愛情を示す行動に困難さを抱いているものが、
更なる負担にストレスを溜め、拒絶する事になるだろう。
そうなってから裏切られたとさせるよりは、
最初から変な期待を持たせないようにするべきだ。
その方が傷つきが少ないだろう。
一理あると思いつつ、「じゃあそうしましょう」とはしなかった。
「そういう事は言わないで」とした。
いずれ自分と他の子との関係をきちんと理解するのだろう。
もちろんわたしとの関係も。
あやふやながらもわたしが実母で無い事は判っている。
実母は俺を産んだ人。
ママは一緒に居る人。
娘と弟らはママのお腹から産まれた。
これくらいの事なら既にわたしとの会話で何度も出ている。
思うに主人だけが違う次元での話をしているのでは無いか。
息子は日々の生活の中で、わたしとの関わりを体得している。
確かに出合った頃〜数年は、
実子のやる事なすこと全く同じに要求をしていた。
そしてこちらも同じでなければならないと、その要求に応えてきた。
けれども数年掛けて、それは全く同じでは無くなっていった。
…無くなっていったというより、そうなるような応対をこちらがしていった。
そう仕向けた、と言うべきか。
出来る範囲の事をしようと意識を変えてから、
全てに応じなくなったわたしの様子に応じて、
息子も全てを要求しなくなっていってる最中だと感じている。
これは主人のいうところの『残酷な裏切り』なのか。
わたしと娘、わたしと息子、わたしとセメ男、わたしとセメ女。
そしてわたしと主人。
皆異なる人格なのだから、接し方や感じ方もそれぞれ。
…ではダメだろうか。
まずはやれるところから始めたいと言い、
「衣食住からスタートする」と引き取りをした時にも
「衣食住だけなら施設でも同じだ」
「家庭に引き取る意味が無い」と怒った。
「同じ衣食住でも、施設と家庭では背景が違う、だから意味があるハズだ」
と反論した覚えがある。
うちの場合、子ども自身の生きづらさも大きな課題であるけども、
主人の実母幻想がかなり根深く、相当理想化されているようだ。
完璧なまでにそれを期待し、それが叶わないのであれば、
中途半端に与える事は酷だと譲らない。
(だからといって与えないでいれば当然激怒なのだろうが)
ステップファミリーの発達や継親子の多様さも、
充分に学んでいるハズだけど、コト実母、お母さん、ママという存在に対しては、
どうしてこれ程までに…と過度な期待を持たれている。
0か100か、のやり方以外は認めたく無いようだ。
いつの間にか主人への文句・不満になってしまった。
目先の問題ばかりになっていた最近だったが、
過去のやり取りを思い返す余裕があるって事なのか。
何ヶ月振りかのゆっくり過ごしている夜です。
ショコラを鑑賞して寝ます。
息子に対して主人はこう伝えると言った。
「ママはお前の本当のママじゃないんだ」
「だからお前はママに他のみんな(実子・セメント)と同じように甘えちゃいけないんだ」
「他のみんなが何かをママにしてもらったからと言って、お前も同じようにしてもらおうなんて思うな」
わたしに対しては、
「期待をさせるなんて残酷だ」
「そんな事をさせるくらいなら、ハッキリそう言ってやる方がいい」
わたしが実子・セメントらと同じように関わる事が苦しい。
相当な努力でもって、スキンシップをしていた事。
実子らが求めてきた事に対して、同じように要求してくる事に応えるのが辛い。
などと主人に訴えていたところ、そのような話となった。
主人の考えとしては、
中途半端な愛情(のようなもの)を示されるなら、いっその事無い方が良い。
中途半端な愛情を示される事によって、もっと愛情が欲しいと思うだろうから。
そうなるとただでさえ愛情を示す行動に困難さを抱いているものが、
更なる負担にストレスを溜め、拒絶する事になるだろう。
そうなってから裏切られたとさせるよりは、
最初から変な期待を持たせないようにするべきだ。
その方が傷つきが少ないだろう。
一理あると思いつつ、「じゃあそうしましょう」とはしなかった。
「そういう事は言わないで」とした。
いずれ自分と他の子との関係をきちんと理解するのだろう。
もちろんわたしとの関係も。
あやふやながらもわたしが実母で無い事は判っている。
実母は俺を産んだ人。
ママは一緒に居る人。
娘と弟らはママのお腹から産まれた。
これくらいの事なら既にわたしとの会話で何度も出ている。
思うに主人だけが違う次元での話をしているのでは無いか。
息子は日々の生活の中で、わたしとの関わりを体得している。
確かに出合った頃〜数年は、
実子のやる事なすこと全く同じに要求をしていた。
そしてこちらも同じでなければならないと、その要求に応えてきた。
けれども数年掛けて、それは全く同じでは無くなっていった。
…無くなっていったというより、そうなるような応対をこちらがしていった。
そう仕向けた、と言うべきか。
出来る範囲の事をしようと意識を変えてから、
全てに応じなくなったわたしの様子に応じて、
息子も全てを要求しなくなっていってる最中だと感じている。
これは主人のいうところの『残酷な裏切り』なのか。
わたしと娘、わたしと息子、わたしとセメ男、わたしとセメ女。
そしてわたしと主人。
皆異なる人格なのだから、接し方や感じ方もそれぞれ。
…ではダメだろうか。
まずはやれるところから始めたいと言い、
「衣食住からスタートする」と引き取りをした時にも
「衣食住だけなら施設でも同じだ」
「家庭に引き取る意味が無い」と怒った。
「同じ衣食住でも、施設と家庭では背景が違う、だから意味があるハズだ」
と反論した覚えがある。
うちの場合、子ども自身の生きづらさも大きな課題であるけども、
主人の実母幻想がかなり根深く、相当理想化されているようだ。
完璧なまでにそれを期待し、それが叶わないのであれば、
中途半端に与える事は酷だと譲らない。
(だからといって与えないでいれば当然激怒なのだろうが)
ステップファミリーの発達や継親子の多様さも、
充分に学んでいるハズだけど、コト実母、お母さん、ママという存在に対しては、
どうしてこれ程までに…と過度な期待を持たれている。
0か100か、のやり方以外は認めたく無いようだ。
いつの間にか主人への文句・不満になってしまった。
目先の問題ばかりになっていた最近だったが、
過去のやり取りを思い返す余裕があるって事なのか。
何ヶ月振りかのゆっくり過ごしている夜です。
ショコラを鑑賞して寝ます。
![]() | ショコラ【廉価2500円版】 ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ 他 (2007/03/02) アスミック この商品の詳細を見る |
20070808 00:42
以前の学習があるので、
息子への電話をどうしようか迷っている。
以前は電話を毎日していた。
見放すつもりは無いよ。
あなたの戻る家はちゃんとあるからね。
そんな事を伝える方法の一つとして毎日電話を入れていた。
けれど、その電話をする事によって、
息子の居心地が悪くなるという側面も知った。
いつも電話を入れていた時に感じていたよそよそしさ。
早々に電話を切りたそうなそぶりを感じていた。
電話が掛からない子も居る中で、毎日親から電話が掛かる息子。
当然といえば当然なのだが、
息子に良かれと思いしていた事は自己満足だった。
なので今回は電話を今は控えている。
でもやっぱり見捨てられたと感じてはいないだろうか。
休息が必要だというのも大人の都合。
上の悩み(迷い)も身勝手だと思いつつ…。
今、出来る事といったら相変わらずそれくらいしか思いつかない。
電話に限らず、面会や外出も躊躇ってしまう。
面会・外出時も同様に「そうはしたくないのだけれど…」の渋々態度であった。
当時は息子の態度をそのまま受け止め、
「会いたくないのか?!」「迷惑なのか?!」と腹を立てていたのだ。
実際は他の子らへの配慮か、自分を守る為か。
一人だけ楽しんではいけない。
親など必要では無い。
そのようなポーズで居なければならなかったのかもしれない。
(いや、ポーズなのか本心なのか未だツカミドコロが無いのだけど)
休息が終わるまでは控えめな交流に留めておこうと考えてる。
息子への電話をどうしようか迷っている。
以前は電話を毎日していた。
見放すつもりは無いよ。
あなたの戻る家はちゃんとあるからね。
そんな事を伝える方法の一つとして毎日電話を入れていた。
けれど、その電話をする事によって、
息子の居心地が悪くなるという側面も知った。
いつも電話を入れていた時に感じていたよそよそしさ。
早々に電話を切りたそうなそぶりを感じていた。
電話が掛からない子も居る中で、毎日親から電話が掛かる息子。
当然といえば当然なのだが、
息子に良かれと思いしていた事は自己満足だった。
なので今回は電話を今は控えている。
でもやっぱり見捨てられたと感じてはいないだろうか。
休息が必要だというのも大人の都合。
上の悩み(迷い)も身勝手だと思いつつ…。
今、出来る事といったら相変わらずそれくらいしか思いつかない。
電話に限らず、面会や外出も躊躇ってしまう。
面会・外出時も同様に「そうはしたくないのだけれど…」の渋々態度であった。
当時は息子の態度をそのまま受け止め、
「会いたくないのか?!」「迷惑なのか?!」と腹を立てていたのだ。
実際は他の子らへの配慮か、自分を守る為か。
一人だけ楽しんではいけない。
親など必要では無い。
そのようなポーズで居なければならなかったのかもしれない。
(いや、ポーズなのか本心なのか未だツカミドコロが無いのだけど)
休息が終わるまでは控えめな交流に留めておこうと考えてる。
20070801 22:02
児相で相談の上、
心理状態の把握(テスト)を兼ねて預けられたらどうですか?
少し休憩しましょう。
…と提案して頂いた。
要するに短期入所である。
どうにかこうにかだったけど、今までの事が無駄になってしまうのではないか。
そう思ったが「あれこれ考えないで今は休んだらいいんじゃないですか?」と。
上の話し合いにもいつもながら主人は同席せず。
担当者も「お母さんが決められたらいい」と。
一任されて決定を自分一人に委ねられる事への抵抗もあったが、
一晩考えて、短期入所を依頼する事とした。
期間は夏休み期間。
『傍に居続ける事』
それだけを最低限のハードルと思い一年やってきたが、
そこだけにコダワリ過ぎているのでは無いかと。
下の子らへの暴力を伴ったいじめがある中、
それを監視するような日々は心身を消耗させてしまったのが事実。
信念として『傍に居続ける事』を曲げずにいる事によって、
弊害を無視してよいとはならないだろう。
しかし何をどう繕ったところで、天秤に掛けて息子を排除する事に変わりは無い。
それなら下の子らを預けるか?自問するまでも無く、それは不自然な話だと思う。
他の出来ない部分を『傍に居続ける事』が一番大切だからと、
低めに設定する言い訳にしてきてこれだ。
情けない。
執拗にコダワルこの部分を「あなたが倒れては元も子もない」と友人や親族らに諭され、
ならば休戦、と自分の気持ちを納めた。
1年という単位での成果は無しか。
非難をされる要素が満載で、これでもかと自分を責めている。
絆を作っていく困難さを記録したいと思っているのに、
スタートしてすらいないのだろうか、もしくは後退しているのか。
相談中に描いておくよう言われた『実のなる木』(バウムテスト)の用紙は、
真っ白だった。
何の役にも立たない話だけれども、
家の記録として書いておこうと思った。
リフレッシュして再開、そして仕切り直しの期間にします。
力不足のバカ親でごめん。
心理状態の把握(テスト)を兼ねて預けられたらどうですか?
少し休憩しましょう。
…と提案して頂いた。
要するに短期入所である。
どうにかこうにかだったけど、今までの事が無駄になってしまうのではないか。
そう思ったが「あれこれ考えないで今は休んだらいいんじゃないですか?」と。
上の話し合いにもいつもながら主人は同席せず。
担当者も「お母さんが決められたらいい」と。
一任されて決定を自分一人に委ねられる事への抵抗もあったが、
一晩考えて、短期入所を依頼する事とした。
期間は夏休み期間。
『傍に居続ける事』
それだけを最低限のハードルと思い一年やってきたが、
そこだけにコダワリ過ぎているのでは無いかと。
下の子らへの暴力を伴ったいじめがある中、
それを監視するような日々は心身を消耗させてしまったのが事実。
信念として『傍に居続ける事』を曲げずにいる事によって、
弊害を無視してよいとはならないだろう。
しかし何をどう繕ったところで、天秤に掛けて息子を排除する事に変わりは無い。
それなら下の子らを預けるか?自問するまでも無く、それは不自然な話だと思う。
他の出来ない部分を『傍に居続ける事』が一番大切だからと、
低めに設定する言い訳にしてきてこれだ。
情けない。
執拗にコダワルこの部分を「あなたが倒れては元も子もない」と友人や親族らに諭され、
ならば休戦、と自分の気持ちを納めた。
1年という単位での成果は無しか。
非難をされる要素が満載で、これでもかと自分を責めている。
絆を作っていく困難さを記録したいと思っているのに、
スタートしてすらいないのだろうか、もしくは後退しているのか。
相談中に描いておくよう言われた『実のなる木』(バウムテスト)の用紙は、
真っ白だった。
何の役にも立たない話だけれども、
家の記録として書いておこうと思った。
リフレッシュして再開、そして仕切り直しの期間にします。
力不足のバカ親でごめん。





