::食事や習慣などのエピソード
この手のエピソードは数多くある。
脱力感が湧きあがったエピソード。
特徴なのか、性格なのか分からない。
資質では無く、身に付けた癖だと考えたいと今は思ってはいるが。

買い物に出掛けた先で、テイクアウトのジュースを買ってあげた。
小雨がぱらついてきた為、駐車場に止めてある車に小走りで向かう。
車に乗り込もうとした際、息子が車のドアをフェンスにぶつけそれを足で蹴って閉めようとしたので、
それを注意した。
ドアを開ける時にはゆっくりと、
フェンスだったから良いものの他所の車にぶつけてしまったら弁償しなければならない。
更にドアを足で蹴って閉めてはいけない。

小雨の降る中、それらを注意している時に気付いた。

息子の指がジュースのストローの先を押さえている。
「それは何をしているのか?」
「…雨が入るから」

そこに注意が(気持ちが)向かっているのかと腹が立った。
伝えようという気持ちが失せる。
又、雨粒が1-2滴入ったところでどうなんだという主観もある。

前回書いた『瞬間・その場限り』というところか。
物に対しての扱いは非常にゾンザイで、何度か注意や話をしてきているが改善されない。

話の途中に手は別な動きをしている事が本当に多くて。
常に何か物を手でいじっている。
不安からくる行動なのかと思いつつも、注意をされている場面から気持ちを他へ向けているようにも見える。

聴く気持ちが見られないし、実際その後の行動は繰り返しとなっている。

先日は焦がしたパンをゴミ箱に捨ててあったのを見つけた。
後日担当者からそれは、
「施設での習慣かもしれない」
「食べ切れなかったものは残飯にしてしまう規則だから」
「家庭では残した物はラップして次回の食事に回すけど、施設ではそうしない」
「味わうというより早く食べる事が褒められる」
などの話をして納得はしたけれど、その時はその行動が理解出来ず叱った。

「何も言わないで食べ物をゴミ箱に捨ててはいけない」
「焦がしたならきちんと言わないとダメだ」

そして「ゴミ箱から拾って食べなさい」と。
しかしそれを「汚い」と泣き喚き食べようとはしなかった。
わたしが焦がしてしまったパンなどは、母が焦げをこそぎ落として食べさせてくれていた。
程度問題ではあるが、その様に説明しても泣き喚くばかり。

これは虐待になってしまう事なんだろうか。
不安な気持ちになって担当者に相談したら上の話を聞かせてくれた。
そしてパンの事にしても、
「どこの家庭でも無断で捨てたりしたら怒られて当然でしょう」
「焦がしたパンでも勿体無いと食べれるとこは食べるでしょう」

又別な日には、
トイレに使用後のトイレットペーパー芯を投げ入れてそのまま流してしまったという事があった。
「トイレに紙以外は流してはいけない」と注意をしながら見に行くと、
まだ芯は底の方に引っかかっていた。
なので「底に見えているから拾いなさい」と言うと、
「汚いー」と言って拾おうとしない。
「自分のした事なんだからちゃんと拾いなさい」にも泣き喚くばかり。
トイレ掃除の際、ブラシだけで落とせない部分などは直接汚れを落としているんだよ、
そんな話もしてみたが、やはり泣くばかり。

これらはうちの家庭での習慣や、わたしの当然と考える事をやらせようとし、
素直に聞かない事に対して聞かせようと説明をしてみてもひどく泣き喚くばかりで、
自分が間違っているのかどうなのか、何度も不安な気持ちになって、相談をしてきた。

本当にこれらのエピソードには事欠かない。

無理強いしているといじめか虐待をしているような気持ちになるが、
間違った事(わたしの主観だが)をそのままにしておくのも納得いかない。
他の子らにも同様に教えている。

あえて教えているというよりか、普段の生活の中でわたしのしている様子から、
自然とそのような方法を身に付けていってる感じ。

こういった内容を家族として理解して欲しいと考えるのは、
まだ時期尚早なんだろうか。

もっともっと、わたしの考えているものより、
基礎的な愛着の為に必要な『要求→叶う』レベルの段階なんだろうか。

※後で読み返してみた。
何と講釈の多い奴なんだろうわたしって。
口うるさいな゜▽゜ガビーン
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::瞬間、瞬間を生きる。
『その瞬間を生きている』だとか『場面・場面での対処だけ』の言葉の意味が、
生活を共にをしていると非常によく理解できる。

刹那的という言い方もされたと思う。
全てこれらは、その場だけという意味。

約束を守らなきゃいけないのはどうして?
「叱られるから」
そして「ばれなきゃやっていい」。

行動の基準が、その場限りになっているのはそういう訳か。
だから見えないところでは約束は守らない。

約束を守るというのは、信頼関係が成り立っているから出来る事なのかな。
逆に信頼関係があっても約束を守らなければ、その関係は壊れる。
そもそもの信頼関係が無ければ、約束を守るという行動にはならないのかもしれない。

しかし家庭での生活というのは微々たるルールも含めれば、非常に数多くの約束事が存在する。

一般的なルールもあればそれぞれの家庭ならではのルールもあるだろう。

もちろんルールを完璧に守れる子どもなんていない。
守れなかったりわざと破ったり、
それに対してどうして守らなきゃいけないのか繰り返し教える。

息子は我々の目がある時はむしろ他の子らに比べると、ルールは守っている。
他の子の方が目の前でルールを破る。
(そして叱られる)
この『目の前だけ』というところがわたしにとって問題だ。

いくら目の前でだけ約束を守ってくれても、
見えないところでは破るという行動を繰り返しされていれば信頼なんておけない。
同じ約束を破るのなら、
目の前でも破っている方のが見て居ない時に破った事実が分かっても納得いく。

約束を守らなくても納得いくというのも変な話だけれど、
まだその約束事を守る事が難しいんだな、と考える事が出来るから。

なので行動としては同じ『守らない』も、
『まだ守る事が出来ない』と、
『分かってて守らない』との見方にわかれてしまう。

余りに大人の前で『良い子』でいる事はやはり不自然で違和感を感じる。
大人の前で良い子をしなければならない動機は何だろう。
そうしなければ生きてこれなかった?
ならば、一人で生きていこうと考えるようになれば良い子を演じる必要はもうないのか。

受け入れてもらいたいという気持ちが信頼関係を築こうと努力する事であれば、
もういいやと思った後の行動は予測出来るような気がする。

いや、そもそも受け入れて欲しいなんて発想はあるのか?
今の生活も仮住まいか、通過点の一つか。

「見ている前だけ守っても、見ていないところで破ったら信用出来なくなるよ」
「信じる為の努力をママもするから、あなたも守る努力をしてちょうだい」
これは毎日言ってるセリフ。

とにかく根気がいる。

誰かを信じる為に関わりあったエピソードの積み上げが必要。
積み上がるものは無い中で、信頼を置いた関わりを持とうと考える。
片や関係性を壊す作業の中で、もう一方は関係を築こうとしているようだ。

わざわざそうしているとは思わないし、
わたしの考える適切な関わり方を学ぶ機会が無かったと考えたい。

そっちがその気なら…と感じないわけでもない。
日々こんな思いにまみれて囚われてしまう。

そういった中での関わりに必要なのは、
愚痴を聞き、適切な助言を与えてくれる人の存在。
適切な助言はきっと担当者から頂いているものだと思う。
「まず衣食住、そして「ただいま」と帰る家の存在を」と言ってくれる。
そこだけを義務的にと考えられたらどんなに楽か。

実際の生活はそれだけでは無いからな。
でも今はちょっと義務的に考えようと思ってる。

問題は『愚痴を聞いてくれない主人』か、やはり^^;
「あいつにはいつか刺される」などと言ってたけど、冗談で済まないかもよ。
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::それでは施設と変わらない。
児相担当者の「あえて『分け隔てよ』」
わたしの「ハードルを下げる」「出来る事をしよう」「まずは衣食住から」

それらに対しての主人のリアクションがタイトルの、
「それでは施設と変わらない」
「だったら施設に入れよう」
「衣食住なら施設でもしてくれる」…である。

事の発端はわたしが蕁麻疹を出した事。
今までも精神的に参ったり、ストレスが多いと蕁麻疹が出る体質だったので、
それは一つのサインでもある。
ここ最近その蕁麻疹が連日出ている、
それを掻き毟るわたしを見て苦虫を噛み潰したような表情で、
「うちに居るのがそんなにストレスならば施設にやろう」と言い出したのがきっかけ。

「衣食住ですらそんな風になるのなら、無理して家に置く必要は無いだろ」

更に主人の言い分は『実子への愛情と同等、もしくはそれ以上のものをもって関わらないのなら施設と変わらないだろ』だ。
そんなアホな話はあるか?!と、日々反論しているが平行線。
皆が、途中で倒れないでやっていく為に『ハードル設定を変更しよう』と伝えたいのだが、
主人のハードルは一向に下がらない。

昨日はステップの家族について、研究をされている方と話す機会があった。
その方から、
「あなたのハードルもこの先ずっと下げたままでいるわけじゃない」
「今後上げていく為にも一旦下げましょうという話なのにね」
「そしてご主人も現在のハードルを下げ、2人のハードルが重なったら良いのにね」
「夫婦の足並みが揃わないと」
本当にそうであったらどんなにいいか。

何が辛いって、
『今、わたしのしている事は施設に預けている事と変わらない』という言葉。
わたし自身は施設での生活は経験無い。
施設出身の方のブログや体験記を読み、子どもは家庭で育つべきだという考えに至った。
もちろん、機能不全な家庭は家庭に含めないと考えているが、
主人の言い分を聞いていると、うちは機能不全なんだろうかとも思える。

「では家庭って何なの?」と問うた。

「特別な関係性を持つ事だ」
毎日同じ人間が関わる事はまず基本じゃないか?
「衣食住だけなら特別な関係性とは言えない」
衣食住とはスタンスとして使っている言葉だ、実際は家庭で生活する上で衣食住だけの関わりでは無い。
宿題を見たり、学校の行事に参加し、
電話の出方・掛け方を教えたり、
近所のスーパーに買い物に行き、食事の用意を一緒にしたり、
モノを大切に扱えない事に対して、自分のモノを大切にする事を教えたり、
…書き出したらキリが無いが、それはそれは多くの関わりがある。
又、家庭に戻ってからの変化は心理テストや面談等で良い評価をされたじゃないか?
結局は主人の満足が満たされないだけでは無いのか?

かつて主人が、自身が望んだ関わりを親にされなかった事を今わたしに息子にせよと言いたいのではないか?
↑この言葉は飲み込んだのだけど。

多分、これが主人の納得いかない(家庭に置くことを否定する)理由だと考えるが、
猛烈に邪魔をされていると感じる。
何故、足を引っ張るのだ?!と怒れる。

自身の叶わなかった想いは自分の実母に向けてくれ。

現状、継母という立場、実子と共に育てる中で試行錯誤して見つけたうちなりの最善策を、邪魔ばかりされる。
自分と息子(かつての自分か?)を重ねないで正しく現状を把握しろというのは難しいか。
冷静な判断や考えを奪うほど、区別して育てるというのは間違った選択なのか。

「施設とこの家庭は変わらない」と言われるのに日々憤慨している。

息子の誰でもどこでも良いという態度だけでも奮起しようとリセットしつつやっているのに、
あなたまで「同じだ」とは言うな!足を引っ張るな!妨害するな!

※追記
蕁麻疹はあなたの不理解ダヨ
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::立場をわきまえる、と教える。
先日の児相担当者からのお話。

「立場をきちんと理解して、わきまえるところをちゃんと教える」

以前、主人からも似た様な話があった。


息子に対して主人はこう伝えると言った。
「ママはお前の本当のママじゃないんだ」
「だからお前はママに他のみんな(実子・セメント)と同じように甘えちゃいけないんだ」
「他のみんなが何かをママにしてもらったからと言って、お前も同じようにしてもらおうなんて思うな」

わたしに対しては、
「期待をさせるなんて残酷だ」
「そんな事をさせるくらいなら、ハッキリそう言ってやる方がいい」


それぞれの話は同じようだけど、その意図する(目的)は違う。

児相担当者の目的は、
自分の立場を理解する事により、立場に応じた言動を振る舞うようになる為、
それを受けるお母さんが区別して接する事に自身を責めたりする事も無く、
お互いにとって、適切な距離を持てる。
…という目的で。

「あえて『分け隔てよ』みたいな助言をする人は少ないです」
「けれど、自分の置かれた状況を理解する事は大切だと息子くんの場合は感じます」
「息子くんの場合は、一旦許されると感じるととことんまで要求を出してしまう」
「最終的にはお母さんが持ち応えなきゃ息子くんは行き場が無い」
「お母さんを援助する事が、子どもへ繋がっていくのは私の鉄則だからね」

主人の場合は、
実子と同様な気持ちや態度で接する事が出来ない事を真っ向から否定している。
>「他のみんなが何かをママにしてもらったからと言って、お前も同じようにしてもらおうなんて思うな」
…と、皆とは違うという事を言っているが、ひがみや嫉みのようにも感じてしまう。

同様な事を言われてもそれを『主人』が言うと受け取るわたしはつい言葉の裏を探る。
担当者からの言葉には、単純ながらも「うん、その通り」と納得。

今後はそういった自分の家の中での立場を話していくと。
そこだけ抜き出すと、『子どもにそんな事をわからせるなんて、可哀想に…』となりがちだが、

「自分の立場がわからず不安や闇雲に距離感を測ろうとしているより、明確に示してあげる事は大切」

とてもスッキリとした説明をしてくれた。
そして大変有難いと思った。

途中から新しく家族になっていくのだから、最初からいきなり『家族』にはなれないハズ。
夫婦だって長い年数を掛けてお互いを理解し合い、
多くの衝突を繰り返した上に分かりあえるのだから、対象が子どもであっても同じだと思う。

結婚した途端、義理親が実親になるのでは無いのと同様に。

しかし、相手が子どもとなると
同じように考えられなくなるのはどうしてか?
子どもは愛されるべき存在だからか?

もちろん、愛さないでやろうと考える事は無いけれど、
でもどの子にも実子と等しく愛情を持て、というのは理想論だとわたしは考える。

産んだという事実も必要だけれども、
長い時間を共に衝突し合いながらも過ごす事。
実子にしても同様で、産んだ瞬間愛情を持つわけではなかった(わたしの場合ね)
苦行のような新生児期を過ごしてきた実子とは、そこだけとっても違って当然だろう。

途中から母親がわりの役割をするようになった、おばちゃん。

なりの接し方でいいじゃん。(お姉さんだと尚宜しい)

小さい頃、近所のおばちゃんは無理にわたしの『母親』になろうとしなかった。
当たり前だけど、近所のおばちゃんスタンスで接した。
おばちゃんちの子どもをからかう真似をしたら、激怒された。
おばちゃんは常に我が子が一番だった。(と思う)
お客さん扱いで、大変良くしてくれたけど何でもありでは無かった。
子どもなりにわたしも一線はわきまえていたと思う。

わたしは近所のおばちゃんでは無いけれど、それくらいのスタンスでいたらって話。

雑音は気にしない。
でも、多くの雑音は自分の常識ではないだろうか。
継母だから、…こう思われるに違いないって、自身の首を絞めてないか。

母親にならなくっていい。

今一度、そう励ましてくれた担当者に感謝。
気持ちが軽くなりました。
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::心理テスト
息子の心理テスト結果を聞きに行って来た。

顕著なところを抜粋すると、

・状況判断能力がずば抜けて高い。
・その場限りのスタンス。
・物事の理解は思った程、良くなかった。
・憤る困難さが描画に現れている。
・以前は描けなかった人物が描かれるようになった。

接した時の感想としては、

家庭に戻りちょうど一年だが、
一年とは思えない程に表情や表現が豊かになっている。

先生もわたしも大方予想通りの結果であった。
状況判断能力の高さは、いわゆる『顔色を伺う』というところ。
ただ、その能力は人の気持ちを汲むというより、
『その場限りのスタンス』と言われた、その場をやり過ごす為に活かされている。

いかに上手くその場をやり過ごすか。
そんなニュアンス。

確かにその通りだと思う。
テストってすごいな。
刹那的とわたしが感じているのはこういう事なのだと思った。

物事の理解に関しては、少し意外だった。
先を読んだ行動がとても多いと感じていたので、理解も出来ていると解釈していたが、
それは理解では無く、理解をしたフリらしい。
これも又、その場を上手くやり過ごす為に本当は理解していない事でも分かった風に行動している、という事だ。

まるで、大人だ。

よくわたしも職場などで以前、いまいち理解は出来ていない事柄でも、
何となくわかった風な口を聞いたりして、やり過ごす事があった。
正直に「わかりません」と言うのが憚れるような場面などでは(後で調べよう)などと考え、
適当にその場を濁してきた。
そんなところか?

感心しつつ、高だか9歳程度の子どもがそのような事を考えないとならない事にも驚いた。

描画テストでは、先生から「まずこれ見てください」と言われた。
絵の内容では無く、画用紙の向きが逆だった。

先生が描くように指示した画用紙の向きとは全て逆向きに使用し描かれていた。

ひねくれモノか?^^;

これで特に何かが分かるという話では無いらしいが、
「こういうところも常日頃お母さんが言われている『期待した反応が返ってこない』なのかもね」
なんて言われた。

絵から読み取れたところの説明では、

・甘えたい気持ち
・障害物が多い(生き辛さ)
・人物が遊んでいる(自己の肯定感)

特に人物を描けたところをとても高く評価された。
人物は画用紙のごく片隅に小さく描かれており、大きく描かれていたのは相変わらずのドクロ。
しかしこの隅っこに描かれた人物(自分)がボール遊びをしていた。

「これは素晴らしい!」
「ただ人が描けるようになっただけでなく、遊んでいるというところがポイントだね」
「この小さな人物を描けた事を私は大変高く評価しています」

などと絶賛であった。
なるほど、ふむふむと話を聞いた。

テスト結果の話の後は、夏休みも間もなく終わりで帰宅に向けての話を少し。

主人の「そのまま施設に…」の話を伝えたが、わたしは予定通り帰宅で、と。
学校から帰宅後や週末など、
ボランティアの派遣という方法もあるが、利用してみるか?と提案して頂けた。
少しでも負担を軽減という配慮だと思う。

ひとまず、1ヶ月程度様子を見たいと伝えた。
一番心配なのが、見えないところでの暴力やいじめ。
こういった問題が許容範囲であれば問題無いのだが…。
まぁ、起きても居ない問題で悩んでも仕方無いので、伝えるべき事はしっかりと伝え、
その後は見守るしか無いだろう。

事を荒立てないで、と考えず些細な事でも逐一連絡を入れてもらえるよう
学校や分団へお願いしようと思う。

本人にとっては迷惑な話だろうけど、そこまで注意を注がれる事に感謝しろよー。
「言ってもらえるうちが花」ってよく親に言われたわ^^;
でもやっぱり当時はうるさがっていたけども。

※今夜のDVD鑑賞は、ギルバート・グレイプです。
ジョニー・デップ、ジュリエット・ルイスの2人とも好きな役者さんです。
おやすみなさい。
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(1999/02/05)
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