::居場所
落ち着いて日々過ごしているようです。

最近、変わったなと思うところに「学校より家」というところがあります。
以前の息子は学校での居場所確保が最優先でした。

家でわたしとの約束があっても、学校の友達を優先していました。
(しかし、その友達というのも固定はしていなかった。)
友達関係が何よりも大切といった様子でしたが、
最近は家での約束を優先します。

更に驚いたことに、遊びの誘いを断るのです(!)

以前なら考えられない。

ちょうど下校時に玄関先にいると、遠くから走って帰ってくる。
弟や妹が遊んでくれるのを今か今かと待っているので、早く一緒に遊ぶ為に帰るのだそう。

実は部活動もサボってまで帰って来ている。
サボるのはよろしくないが、わたしとしてはOKだ。

何と言えばいいのか…、家に(家庭、家族に?)愛着を持っているようなのだ。

物にも人にもそれらを感じたことは今まで無かったように思う。

自分の名前にも愛着が無い。
…と、わたしが勝手に解釈しているだけなのだが、
学用品に名前を書く事をしない。(←失くしたら出てこないから、と毎回わたしに注意)
テストも名無し。(←毎回先生にも注意を受けるが改善されない)
テストの氏名欄に大きく赤でバツをされ赤字で「名前を書く!」とされている。

問題の回答はちゃんと出来ている、名前を書くことの方が簡単なのに?とつまらない疑問だ。

さすがに身に付かないので、問題が解けていようがいまいが「0点」という先生の強行手段に時々合ってる。
(わたしは点数には関心が無い)

…と些細なエピソードだが、とにかくモノにもヒトにも執着や愛着が感じられないでいた。

別な言い方をするのなら、とても「あきらめのいい子」であった。
退行と言われた時期は別として、それ以外の点では非常にあきらめが良い。
大人の都合だけで言えば、すごく楽である。

それに対して、娘やセメント兄妹のあきらめの悪い事と言ったら。
モノの取り合いなんてのは、日常茶飯事。
そんな中ですぐに譲る事が出来る。

喧嘩にならない。

だから楽。

わたしは以前、親や義母さんに「抱き癖がつくからあんまり子どもを抱くな」と言われた。
主人にも「泣かせておけばそのうちあきらめるからいいんだよ」と言われた。

「貴女が大変だろうから言ってあげてるのよ」と。
「抱き過ぎるから、いつも抱っこされたがる子になるんだよ」
「それも躾の一つだ」

確かに抱き過ぎて(?)腱鞘炎になってしまった事もある。
抱いて歩き回らないと落ち着かない次男の時は膝も壊した^^;
ついでに次女(2歳8か月)はまだまだ授乳中だ。

そんな様子を見て、掛けてくれた言葉だったがわたしは無視してきた。

かつて仕事をしていた頃はそれらの事にも限度があり、上の内容は無理だった。
今でも仕事をしていたら無理だと思う。
ただ、幸いにも家で育児中心の生活が出来ているのでそう出来るというだけだ。

…で、周りからは結局「ほれ、みたことか」状態だ。
(我儘、甘えたがり)

もうイッコついでに、下の兄妹(4歳&2歳)は幼稚園などにも行っていない。
入園させる予定も今のところ無い。
これは母親にかなり本気で「可哀想に!」と責められた。
(最近はあきらめたようだが)
集団生活を経験させるべきだと言われる事が多い。
(それは経験した方がいいのだと思うが、絶対にさせないといけないとは現状思っていない)

主人の「これから先、長い人生においてそんなに焦って外に出す必要は無い」に共感した。
賛否両論(否が多いかな^^;)いろんな意見があると思うが、
うちが出した結論は「小学校に入るまで家で育てよう」なのだ。

脱線話が相変わらずで絵文字名を入力してください

あきらめの悪い子は嫌いじゃない。
我儘(自己主張含)も程度問題だが、可愛い。
自分に自信を持っている子が好き。
お家が大好きな様子はうれしい。

ヒト(わたし)やモノに執着しているからイトオシイ。


※ようやく器である家に愛着を感じているようだ。
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::さて、息子。
夫婦関係、コミュニケーション法、ステップ…ちょっと違う内容の連発でした。
考えさせてもらえる多くの記事や日記を読み、わたしなりに考えた次第です。

さて、息子。

冬休み後半、義母宅から帰宅してからの様子と児相での面談について。

義母宅で過ごした様子は特に本人からは何も話題に出ません。
多くの手土産(おもちゃ)とお年玉を持ち帰ったけれど、おもちゃはホッタラカシ。
お年玉は貯金分と小遣い用に分けました。

ただ、パニックを(でいいのかな)しばらくの間起こしていました。
パニックと言うのは、
思うとおりにならない事があると自分の手や腕に噛みつく、身体を血が出るまで引っ掻く。
近くにある物を蹴る、投げる。…などです。

新学期前、学校に持っていく物を準備するように言うと傍にあったテーブルを蹴る。
冬休みの課題であった書き初めをやるように促すと、長半紙を破る。
筆を使った後、そのままにしていたので洗って吊るすように言うと、筆を折る。
筆箱の鉛筆を削っておくように言うと、「削った」と。
鉛筆削りが子ども部屋から移動しリビングに転がっていたので、
「削ってないでしょ」と言うと、「削った」と目を見て言い切る。
削ったという鉛筆を見てみるとまんまる^^;
「ほらやっぱり削ってないじゃない」「削った」「絶対に削った」睨みつけながら言い張る。
「ねぇ嘘一回付くと、嘘をつき続けないとならないでしょ、そういうの辛いでしょ」
もうだめだと、ここで腕を噛みつく。

パニックが収まってから鉛筆を一緒に削る。

家で無い場所で過ごし、戻ってくると大体こういう事になっている。
最初から一緒にやってあげればよいのかと気づき、しばらくは学校の用意などを手伝う。
すると、パニックは出なくなってくる。
最近は一人で準備を(適当だが)やれるようになった。
やれてない事を指摘してもパニックは起こさない。

義母宅では盛大なもてなしを受けたらしいが、息子本人は不安であったのだろう。

クリスマスに渡しそびれた「プラモデル」を最近は一緒に作ってる。
ちょっと難しい戦車のプラモデルなので少しづつしか進まないが、毎日学校が終わってから
それを一緒に作るのを励みに宿題や学校の用意を頑張っている。

先日は児相の面談にわたしと下の子らと行き、
上の話をしてきたら、

「プレイをやってるとそうやって腕に噛みつく子は多いのよ^^;」
「3歳くらいの子によく見られる行動だね、簡単なゲームなどして負けるとやるね」
「根気強くプロセスを積み上げる、その繰り返し」

後は、何でも自分一人でやろうとする事。
わからない事を聞く・尋ねるという発想が無い。

自分のそれまでの経験値が全ての判断基準。…となると、失敗が多い。

「どうしてちゃんと聞きにこない?」
「わからないなら何で聞かない?」に対して、

「それでいいと思ったから」
「前はそうだったから」と答える。

このやり取りはかなり以前から変化が無い。
「わからないなら聞けばいいんだよ」
それが今のところ一向に伝わらない。

わからないのに聞く事もせず自分一人の(浅はかな)考えで何でも行う。

これは、こちら側としたら繰り返される度に辛い。
信頼を置いてませんよという捉え方になる上に、失敗の後始末となる。
聞ける人が目の前にいるというのにスルーされてしまう。
何でも自分でやってみたい、というチャレンジ精神では無く、
目の前に居る自分という存在を無視された気持ち。

けれど結果として失敗するものだから、それに対してのフォローは必要となってくる。
これら一連がセットになっているから辛いのだ。
存在を無視されたのに失敗への手助けをしなくちゃならない。
後始末も自分で出来るなら文句はない、と言いたい気分だ。

…とか何とか愚痴を聞いてもらってきた。

はな1はな2

何だか長くなり過ぎて文章が上手く〆られなくなってしまった^^;

一人で生きてるんじゃないんだからさっ、という話。
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::情報の有効な使い方。
引き続きの内容です、ちょっと覚書。
ここがとても重要な事だと気がついたから。

わたしはステップの事を学んでいる。
しかしその学んだ内容を有効に活用出来ていないと感じていた。
いや、わたしはそれを学んだ事によってとても心が軽くなったのだが、
それによって主人との関係はむしろ悪くなっていった。

わたしが繰り返し主張している、

ハードルを下げよう。

わたし自身はそれを取り入れる事で楽になった事は間違いない。
ただそれを主人や義母らに伝える際、
「継子を愛せないのは当然だ…」だからやれる事を無理の無い範囲でやればいいのだ、と。
これでは彼らが「そんなの開き直りだ」と感じてしまうのも仕方無い。
これはわたしがそのように思っていればよい事で実際には心に納めておく話じゃないのか。
なのでこれを伝える時には、少しだけ工夫がいる。

「あなた(あなた方)がいつもわたしを支える努力をしてくれてうれしい、
実親(親族として)の想いを抑えてわたしに寄り添ってくれるのは並大抵の事ではない」
「その気持ちに応えたいが出来ない事があることをもう少しだけわかって欲しい」
「しかし出来ることからいつも評価をしてくれるあなたはとても寛大だ、そんなあなたとだからわたしも前向きに頑張れる」

かなり過剰な書き方になってるが、
こういう伝え方をもし逆にされたらどうだろう。
理解を示したいと感じるだろう、もっと寛大になりたいと思うのではないだろうか。

これは、「相手の心を開かせる大切なポイント」に書いてあります、抜粋して引用します。

輝ける子―100メートルを10秒で走れと言われてもさ、いっくら努力しても走れない奴っているじゃん輝ける子―100メートルを10秒で走れと言われてもさ、いっくら努力しても走れない奴っているじゃん
(2002/07)
明橋 大二

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1:総論オーケー、各論ダメ

 まず相手に対して、総論はオーケー、
「あなたはオーケーな人ですよ。だけど、各論、この部分は問題ですよ」というように言っていく。
これが基本です。
 いけないのは、「あなたはダメな人。だけど、いいところもある」という言い方です。
これは、「総論ダメ、各論オーケー」という言い方です。
 ついついこちらが腹を立てていると、顔を見たとたん怒りがガーッとわき上がってきて、
「おまえ、何てことしてくれるんだ!やっぱりおまえだな!」みたいな感じで、総論はダメと言ってしまうのですが、
それでは相手は、反発するだけです。
だから、「あなたはオーケーな人なんですよ」ということをまず伝える。

2:サンドイッチ法

 まず何か相手の悪いところを伝えようとする場合は、必ず相手のよいところで前後を挟むということです。
「あなたはいつもがんばっている。だけど今回こういうミスがありました。きっとよっぽどの事情があったんでしょう。期待しているんだから、これからは頼むよ」
“いつも君はしっかりやってくれている”というように、悪いことを言う時も、長所で挟むということなんですね。
こう言われると、実際は注意されたのに、なんだか、ほめられたような気になって、ともかく、ミスはあったが、それを挽回するためにがんばろう、という気持ちになります。
 これが逆に、悪いことでいいことを挟んでしまうとどうなるかというと、
「もうなんてことをやってくれるんだ。確かに君もがんばっている部分はある。だけど、こんなことをやったら、もうどうしようもない。」
 これでは、相手もやる気をなくすだけです。


このコミュニケーション法を、実親への伝え方としてわたしなりにアレンジしてみたのが上です。

自分自身、学んだ事がとても有効であった為、
その主張をする際、とても傲慢であったと思うのです。
せっかくの情報も伝え方を誤ると無効どころか悪影響です。
又、伝え方が良ければその効果は2倍3倍になるかもです。

今、主人や義母が情報を取り入れる気持ちを無くしているのは、拒絶しているのは、
わたしの伝え方がまずかったからなんだと気がつきました。

分からない人が悪い、分かろうと努力しない人が悪いと思っていたけれど、
分かるような伝え方をしていなかった。
分かりたいと努力しようという気持ちを削ぐ伝え方をしていた。

反省。

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::分かり合うという事。
夫婦の関係について。

今まで夫婦で気持ちを共有したい、分かり合いたいと思っていた。
それが無くてはステップを続ける事は出来ないと信じていた。

多くの事柄は根気強く、冷静に話し合う事が出来ればそれは叶うと思う。
けれど継子(パートナーからみると実子)の事に関してはそれを分かち合うのは相当困難だ。
というか無理だ。

理解は出来る。
理屈は分かる。

でも、同じ気持ちを共有は出来ないだろうと思った。
これは実親の立場でもあるわたしの想いでもある。

よく継子の愚痴を旦那に言わず余所で言えと周りに言われてきた。
周りに愚痴を聞いてくれる人にも幸い恵まれていた。
その人たちがわたしの愚痴に大変理解を示してくれても、どこかスッキリしなかった。
こういう想いを(醜い気持ち)抱いている事をやはりどうしても主人に理解してもらいたい。
100人の人がわたしの気持ちに共感を示してくれるより、
たった一人、主人に理解をされたかった。
そんな気持ちも持つわたしを受け入れて欲しかった。

夫婦間に嘘や偽りはダメだと思ってもいた。

だから一生懸命わたしの想いを伝えてきた。
けれど伝えれば伝える程、その気持ちは拒絶された。

息子を育てていきたいと思ってる。
けれど、実子のように愛する事は出来ない。
実子への想いとは違う形の関係を作りたいと思っている。
実子と同じにと考えると無理をすることになるので、出来る範囲の事をしたいと思う。

そんな内容の話を多くの言葉や事例でもって伝えてきたが、
「そんなやり方ならやっていらない」が最終的な主人の返答だ。
それに対して、どうして分かってくれない?どうして理解を示してくれない?と、
いつも不完全燃焼のやり取りをしてきていたが、
いつかは分かってくれるだろうと同じ事を主張し続けた。

主人が聞きたいのは、
息子を実子と同じ気持ちで育てたい。
実子への愛情と同じものを息子に持ちたいと思ってる。
実子にしている事は同じ事を息子にもしてあげたいと思う。
…なのだろう。

わたし自身も連れ子がいるので、ちょっと考えてみたらわかりそうなものなのに。

上の「愛せないのよ、そこんとこ理解してよ」より、
「愛したいの、でもまだ無理なの、そういう気持ちを理解して」では受け取り方が全く違うなと。
こちらの伝えたい部分は「愛せない事を理解して欲しい」のだ、そこの意味はどちらでも伝わる。
ただ物の言い方を少し変化させただけなのに、伝わり方が全く異なる。

気持ちを共有してもらうのは無理でも伝えたい事は伝えられそうだ。
上の言い方では、伝えたい事も伝わらなくなってしまう。
冒頭の「愛せない」に実親は悲しさ一杯になってしまうから。

何だかちょっと姑息な気がしないでもないが、
伝え方を少し変化させるだけで、
「いやそんな無理はしなくていいんだよ」なんて優しい言葉が返ってきそうだ。

こちらも一杯一杯でやっていると、技としてすらそんな言い回しは出来ないだろうけど、
ちょっとの余裕がある時にでも、そんな伝え方をしてみたらどうだろう。
お互いに思いやりの気持ちがこめたやり取りが出来るのじゃないだろうか。

夫婦関係が良いと全ての事が上手く回りだす。
主人は仕事が、わたしは育児家事が。
これは本当に不思議な程に、連動している。

優しい言葉や気持ちを掛けてもらって嫌な気持ちになる人はいないだろう。
わたしはそこの部分がものすごく単純に出来ていて、
「わたしって主人に大事にされてるなぁ」(愛されてるなぁ)と実感する出来事があるだけで、
いろんな事にやる気が出てくる。

基本は夫婦関係、これは絶対だ。
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::帰宅
嵐のような年末年始となってしまいました。
今日から3学期です、息子と娘は学校へ、主人は仕事へ、わたしとチビちゃんらは家で過ごしています。

息子が義母宅へ行ってからの話を少し。

主人はそのまま自宅へは戻さないと言っていましたが、
物事の順序がめちゃくちゃだ、なんにせよ筋を通して話を進めたいと話し合い最終的には主人も納得しました。
冬休み終わり近くには迎えに行こうと話がまとまったところに今度は小姑から突然連絡が入りました。

わたしの携帯へメールで「明日そちらへ行きます」とだけ。

電話を掛け「こちらに来るとはどういう理由でですか?」と問うと、

「手続きにいきますから」

手続きとは?

「転校・転居の手続きに」

わたしと主人とで今後の話をしているところです、何故勝手にそのような話になるのですか?

こちらの親族一同で決めた事です、何か拒否する理由がありますか?
とにかく行きますから宜しく。

親の事を無視してそんな事が出来ると思いますか?
めちゃくちゃじゃないですか。

そんな電話のやり取りがあり、更に消耗。
もうね、息子が主人の実家に行ってからの話の内容が目に浮かぶ。

直接話をするのも嫌なので主人に受話器を渡した。

結局、親族一同の話では無く小姑一人が端的な話に興奮し盛り上がっていたようだ。
義母と話をした主人は明日迎えに行くからと話が終わった。

主人はどんな手段を使っても家から息子を出しさえすれば、後の事はどうとでもなると考えていたようだが、
こんなやり方をされて「どうとでも」とは到底ならない。
信頼も置けない人と今後の生活は出来ない。

先走り過ぎたと主人も若干反省したらしく家に戻す事を不承不詳承諾した。
ただし条件付きで。
「今年度中に今の形以外の方法を決定する」のが主人の提示したものだ。

わたしは少し前から里親さんと協力し息子を養育する方法を調べ探している。
児相へのアプローチでは「出来ない」と終ってしまったので、
別なアプローチの方法で里親さんにコンタクトを取るべく働きかけをしているところだ。

主人にもその話はしていたのだが「そんな雲をつかむような話」と相手をしてくれない。

「いつまで待てばその里親さんは見つかるのか?」
「それまで息子を置いておいたってまたトラブルが起こるだけだ」
「早く家から出せばいい」

そういった訳で主人は期限を設ける事を条件とした。

子どもを育てる中で期限付きで養育方法を決める…というおかしな話だが、
今回義理親・小姑を巻き込み最終的にはこんな形で終結させた。

血の繋がりによる身勝手な言動に振り回された年末年始。
同じ血の繋がりだけを言えば、セメントちゃんらも同様なはずだが全くのスルー。
息子だけを得られればそれでよいという義母らの本音。
いろんな事で傷ついた。

わたしは「息子を実子と全く同様に愛しています」と言えば良かったのか。
あえてそれを言わないで誠意を示そうと思ったのだが、浅はかだった。
オリジナルな関係、オリジナルな家庭、そんなものを求めて目指しているのはただわたし一人であって、
義理親ら一同は誰もそんな形を望んでいないという事だ。

一般初婚家庭を目指せ。

わたしが望まれているのはそれだけだ。
だからわたしが説明したステップの情報らは余計な知りたくもない事実に過ぎない。
これだけ離婚再婚が増え、多くの情報も得られるようになっているのに、
見たくないものには目をつぶる。

わたし自身が継子との生活で気がついた、自分の中の醜い気持ちに目をそむけたくなっていた時期に似てるのかも。
それを受け入れ、ハードルを下げるまでの葛藤や自己嫌悪はそうそう簡単には向き合えなかった。
まだまだ言われた言葉が刺さったままでそんな寛大な見方をしてあげられないけど、
彼らの心理や言動は理解出来なくもない。

共に生活をし、ステップについての情報を伝えても受け入れようとしない主人もいるのだから、
その親族である義母らが受け入れないのはある意味当然か。

少しトーンダウンしてそんな見方が出来たからそれでよしにしよう。

何だか幸先の悪いスタートの2008’どうぞ今年も宜しくお願い致します。
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