::言葉はまだ入らない。
しばらく書く事をサボっていました。

皆、元気です。

先日は『1/2成人式』という行事が学校でありました。
それぞれが出し物をして、最後に親から子に子から親に手紙を渡すというものです。

「お母さんへ」

1:まい日ごはんや、家の事をやってくれてありがとうございます。(^^)
2:自分はこれから家の手つだいをします。(^^)
3:バレンタインのチョコありがとう
4:ホワイトデー楽しみにしててください。

2008 2月15日12時17分30秒
○○○○より
ハムスターのイラスト


↑原文のまま
手紙だけど箇条書きまっくろくろすけ
日時がやたらと詳細なのはどうしてだろう?
ホワイトデー楽しみに待ってます。
※ハムスターの絵、上手に描けました。

相変わらずのその場限りのやり方で日々、生きています^^;
聞きに来る事もせず、自分だけの考えで日々失敗し本人にしてみれば不要な怒りをかっている。
モノを大切にしないからと、粗末に扱ったモノをゴミ箱行きにしたところで、モノに執着もしていないから無駄。
以前は多くの事を言葉で伝える事をしていた。

「あなたはママの宝だよ」

上滑りしている感もあったが、
それへの実感は全く無いといった感じ。

他の子らはそんな言葉が大好きで、時々は確認作業もしている。

「ママはみんなの中で誰が一番好き?」

そんな質問をしてみたり、
ふいに「ママ、だーいすき」と抱きついてきたりも。

ベースや土台の有無なのかな、いやそうなのだろう。

「あなたが大事」
「大事だから注意をするのよ」

なんて言葉が活かされるのも、本人がそう実感していてこそ。
そうでない息子は単に注意された事のみになっている。

よく「愛情を示せ」などと読んだりするが、
その愛情表現を受け取る側には、愛情というものを体得していないと示されてもかえって身構えさせる。

愛情表現や言葉は、一緒に過ごす事をある程度経てからでないと無効なんだなと。

怒りの意味だって理解出来ない。
理解出来ないけれど、怒られるのはイヤなのでそれをかわす事に集中する。
残念ながらそこが顔色を終始意識している理由。

わたしは時々、拒絶モードに入る。

※注意しなければならないのは、それを主人の前では避ける事。
拒絶モードに過剰反応が返ってくるから。

この拒絶モードは怒りを鎮めるのに有効なので時々活用している。
いわゆる無視状態だ。
ちょっとひどい感じに目に映るだろうが、このやり方で無駄に怒る事は避けられている。

今のわたしと息子にはこの『時々意味不明に拒絶モード』がバランスよい。

怒りをかわす事ばかりにさせてはいけないと反省した。
気に入られる事ばかりに意識を専念させてはいけない。

一緒に居続ける事がまずは大前提。

愛情うんぬんはそれからの話。

娘の手紙も記念に…。

お母さんへ

いままでわたしを10年間育ててくださいまして、ありがとうございます。
お母さんとりょこうもしたね、
いっしょにかんこくに行って、おいしいおりょうりやプールであそんだりして楽しかったね。
あと、グアムに行ってヨットみたいな物に乗ったよ。
その事を時々思いだすよ。
これからもわかんない事がいろいろとわかるようになりました。
これからもいろんな事をいっぱい教えてください。

よろしくお願いします。

○○○○より。


原文のまま。
文章がおかしい場所がありますね^^;
これでも随分上手になりました。
グアムに連れて行ってくれたのはおばあちゃんとおばさんです。
韓国には2人で暮らしていた頃、初めての旅行で行きました(当時4歳)覚えているんですね。
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::場面に即した行動と理解の繋がりが無い
思い通りに事が運ばないと、噛みついたり(自分の腕を)身体を掻きむしったり。
その行動が落ち着いたのと引き換えに、多くの要求をするようになった。

何度目だろう、この繰り返しは。

試し行為とも言われるこの『要求』というのが、
基本的に普段は「NG」と言われる事にほとんど限定されるから困る。

・食事の前のお菓子はダメだよ。(おやつの時間or食事をしたらOK)
・寝る時間になったら布団に入りなさい。(休み前は遅くてもOK)

一貫して守るようにわたしが伝えているのは上の2点。
これはもう5年は変わらない内容。

しかし、食事前にお菓子を食べたいと何度も訴える。
寝る時間になっても寝たくないから遊びたいと訴える。

聞き分けが無い(理解できない)というのでは無い様子。
聞ける場面を何度も見てきているので、そうでは無いと思うのだ。
現に場面によってはそれを守る。

後は最近特に目立つのがいわゆる『チクリ行為』
これも何度か繰り返している。
要するに他の子の怒られるような事を頻繁に『言いつけ』にくるのだ。
余りに執拗に報告に来られると溜息が出る。

保護所でもこれに関しては特徴的な面だったと以前担当者から聞いた。
やはり怒られそうな事をしている子を(年下の子に限定だが)指導の先生に何度も伝えにきたそうだ。
担当者曰く『まるで正義のナントカように(苦笑)』と言われた事が何だか印象的だ。
又、この行動に関しては「非常に幼い」とも。

今日も児相の面談日だったのだが、
これらの話とともに担当者と再認識した部分は、

テストの結果には明確に出ていた「場面に即した行動と理解の繋がりが無い」というところ。
言葉にすると何だかわかり難い。

その場に応じた行動、つまり正解の行動を取れる。
けれど、それを決める要因はその場に居る人や状況である、という事。

益々分かり難いか^^;

例えば、家庭内でよく見られる事で説明するのなら、

『片付け』

使った物は元の場所に片付ける。
部屋がきれいだと朝いい気分。
整理整頓されていると、物を失くさない。

などの理由を付けて、就寝前には部屋を片付けるよう子ども達と習慣にしている。

わたしの「片付けするよ」のセリフ(号令?)の前に片付けをしだすのはいつも息子。
これは良い、いわゆる正解の行動。
更には、他の子にも「片付けしないとダメだよ」なんて声掛けもしてくれる。
一見さんが非常に感心したり、不憫な見方になるのはこんな場面。
けれど、実際のところ片付けはやっつけなので見えないところへ移動しているだけ。
要するにわたしの説明する「片付けをしよう」の理由は理解していないという事。

まぁまぁ男の子なんてそんなモンでしょ。
そうであるなら、号令前から動かないって方が自然なように思えるのだ。

言われたり指示される前にやらなきゃいけない事を察知する能力はとても高い。
グズグズしてて動かない、なんて事は本当に無い。(←最近の試し行動は別として)
だからこそ、その上辺だけの正解の行動のみになっているところがイヤラシク感じてしまう。
場面に即した行動と、その行動と理解は繋がっていないとはそういう事。

「えーやりたくないよー」
「今やろうと思ってたのに!言われたからやるのが嫌になった!」

そんな言葉が言えたらいいのに。
そう言いながらのやっつけ片付けならもっとシンプルに叱って済むのにな。

余計なところで神経すり減らして生きてるなぁ。
しかもすり減らしている割には、陰性感情を持たせるような結果になってしまってるんだよね。

ちなみに上の「えーやりたくないー」…などのセリフは他の子らのものだ。
「片付けしないならゴミにするよ!」などと応戦しながらバタバタしている中で、
次のステップ、寝る支度を淡々としている息子。

「いいなー○○(息子)は!ママに怒られないで!」とわたしにガミガミ言われている娘は言うのだが、
これだけ日々ガミガミ言われても「やりたくない!」と思うがままに言えるのは良い事じゃないのか?

注意・怒り=否定・拒絶、そんな図式を持っているようだ。
なので、注意や怒りを避ける事だけが目的となってしまっている。

そうじゃないんだといつか伝わったらいいのに。
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